うめ先生のブログ

「子どもを集める」のではなく「子どもが集まる」保育をしよう!

子どもに芽生えた悪い芽は小さいうちに摘む。

 

保育実習中の学生さんに頂いたご相談の内容が気になったので、今日はそのことを書こうと思います。 

◎ご相談の内容 

はじめまして。いつもブログや投稿読ませていただいています。

私は保育の専門学校に通う2年生で来年の4月から就職です。

質問は今行かせていただいている幼稚園実習での話なのですが、もし回答済みの質問と被っていたらごめんなさい。

 

実習では5歳児クラスに入って2日目になります。

子ども同士の力関係が気になっています。まだ二日目なので子どもの名前も性格もよく把握できていない状態なのですが、ある男の子(A君とします)は体も大きく、他の子ども達からも少し怖い存在のようです。

おもちゃをさっと取ったり、もらっていいよな??と圧?で取っているようです。

取られた子どもは取られたと私に言ってきたので、返してとちゃんと伝えたらどうかな?と伝えました。

他の取られた子どもへは嫌だったら嫌って言っていいんだよと声を掛けたり、本当にいいの?と確認したりしたのですがいいと言っています。

本心はわからないのですが、見ていてもいい気はしないです。

A君も一応は借りるよとおもちゃをもらっているので、何も言うことが出来ません。

どうすれば対等に付き合えるように、援助が出来ますか?

あと、ごめんという言葉を言えばいいと思っているような様子もそれでいいのかな?と思います。

友達へ嫌な事をしてその子が泣いてしまったらやばいと思い軽くごめんと言います。

表面上では解決している様ですが、それで良しとして良いのだろうかと思います。

実習生という立場で、まだ信頼関係も築けていないのにそこまで立ち入るのはいいのだろうかと迷ったりもします。担当の先生はいつも忙しそうでなかなか質問も出来ません。(後半略)

 

 つまりこんな感じのこと↓

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このような「子ども対子ども」の関係性が気になることって、保育現場や家庭で過ごす場(家族ぐるみの付き合いの場で子どもが複数いるなど)において、結構あるのではないでしょうか。

表面上は(とりあえず)丸くおさまっていても、このまま放置していたら

Aくんはずっと人の気持ちに気付けず、横暴なことを続けるのでは?

Bくんはずっと自分の気持ちを表現できず、我慢し続けるのでは?

そして何より心配なのは、このようなことが積み重なり「仲間外れ」や「いじめ」に発展することも懸念されるということです。

子ども一人一人の気持ちやこれからを考えたら、決して見て見ぬふりは出来ませんね。

そこで、こんな状況にでくわした時にどうすべきか、お伝えしますね。

◎ご相談者さんへ(実習生へ)

実習に入って、まだ子どもとの関わりも密でない中、子ども同士の関係性によく気が付きましたね。私があなたの指導保育者ならば、まずはそこを褒めたいと思います。

ただ実習に参加し、ただ子どもと遊んでいるのではなく、しっかりと自分の学びをなされているのだと感心すると共に嬉しい気持ちです。(さすが2年生です!)

 

さて、先ほども書いた通り、この問題は少し深刻だと思います。子ども達のその関係性、昨日今日出来上がったものではないと思うからです。そして今日明日に解決が出来ることでもないからです。

 

あなたに今一番して欲しいことは、担任教諭への報告と相談です。

実習生の立場で立ち入っていいものかと悩まれていますが、立ち入ってはいけない問題なのではなく、立場上一人で解決に導くのは難しい問題だと言えます。

 

私たち保育者は常に子ども達一人一人の、性格、発達、家庭環境など、あらゆる背景を理解し踏まえた上で、その子どもにどう育って欲しいのかを考えています。(「ねらい」ですね。)

そしてその「ねらい」を達成するためにどんな援助や配慮をしていくかを計画しています。(「指導計画」ですね。)

 

実習生の立場では子ども一人一人に対して、そこまでの理解や関わりがまず出来ないと思います。だからこそ自分だけで解決しようとするのではなく、しっかりと担任教諭に報告と相談をすべきです。

 

担任教諭に報告し相談することで、あなたの気付いていないAくん、Bくんの背景、彼らに対するねらいや援助、そして実習生であるあなたにどう関わって欲しいか、担任教諭の考えを教えてもらえるはずです。

 

「担任の先生がいつも忙しそうで」と質問や相談が出来ないと添えられていました。今回以外にも実習中、指導保育者に質問や相談が出来ない(しづらい)ということをよく耳にするのですが、保育者が「忙しそう」なのは当たり前です。事実とても忙しいのです。

ですが、報告すべきことや相談すべきことを黙っておくのはいけません。あなた自身の学びにも差し支えますし、今回のケースのような場合は子どもへの影響も心配されます。

 

本来ならば指導保育者の方から「何か質問や相談はある?」と実習生に声を掛けて欲しいところなのですが、そんな配慮をしてもらえなくても自分から「Aくんのことで、ご相談いいですか?」と声を掛けましょう。

「ご相談いいですか?」よりも「Aくんのことで」「○○のことで」と簡単に内容を伝えておくことで指導保育者もしっかり話を聞こうと時間を作るはずです。

また、そこまでの考察が出来ているのなら実習日誌に書くのもいいと思いますし、日誌に書けないならばメモを日誌にクリップで留めて一緒に提出しても構いません。

繰り返しますが、このまま担任保育者に相談せずにうやむやにすることこそ、あなたにとっても、子どもにとってもよくありません。

◎いじめの芽は小さいうちに摘む(子どもと関わる大人のみなさんへ)

子ども同士の関係性が気になることってありますよね。特にこのような力関係がなんとなく出来てくることって、あると思うんです。

保育者のみなさんはきっとそれをすぐに察知し、子ども達一人一人を理解した上でどう関わっていくか対応していることでしょう。時に担任だけでなく、職員全員で把握し合い連携し、一貫した対応が出来るように対策することもあるでしょう。

 

そうやって毎日子どもを思って関わっていたら「それがいじめに発展するなんて何をおおげさな」とお思いの先生ももしかしたらいるかもしれません。

 

ですが私は見たことがあります。

少しずつ出来上がっていった子ども同士の力関係がいじめに発展していく様を。

いじめの低年齢化は問題になっていますが、まさか自分の勤めている園で起こるとは思ってもいませんでした。

もちろん園全体でそのことに取り組み、最終的にはきちんと解決し、みんな仲良く卒園していきましたが、「怖いな」というのが正直な率直な私の感想です。

 

いじめる子どもの心も、そうなってしまった背景も。

いじめられる子どもの心と、負ったであろう傷と。

そして傍観者だった子ども達がだんだんといじめる側になった、「自分はいじめられたくない」そんな、人間の心理のような本能のようなもの。

 

自分の教え子が、自分の我が子が、そのどれかになるかもしれない。そう考えたら怖くありませんか?

 

22歳で受けた保育園の入職試験で「幼児期にいじめはあるか、あなたの考えを書きなさい」という作文がありました。まだまだ子どもへの理解が浅かったと思います。何の迷いもなく「子どもは心がきれいだから、いじめはない。」と書きました。

ですが今同じ作文を書くことになったら、私はそうは書きません。

 

保育士になり、0歳児クラスを担任していると気付くことがありました。

それは持って産まれた性格なのでしょうか。

誰に教えられたわけでもないのに、いつもお友達の玩具を取ってしまう子どもがいます。いつもお友達に手が出てしまう子どもがいます。いつも同じ子どもなのです。

 

0歳児ですからそこに悪意はないでしょう。お友達のものが気になるとか、お友達のことが気になるとか、そんな気持ちが「物を取る」「手を出す」に繋がる、そんな性格の子どももいるのです。

ではどうすべきか。

我々、大人が、いけないことはいけないとしっかり教えなくてはいけません。

そこに悪意がなくても、人のものは取ってはいけないし、人に手を出してはいけません。人の嫌がることをしてはいけません。

そのことを丁寧に優しく根気よく教えていかなければならないのです。

(まずは教えます。最初から怒ったり叱ったりしません。)

 

 

いじめが起こってしまった園では、その根本に立ち返った関わりをしました。5歳児でのことで、赤ちゃんに教えるのとは状況もこちら側の気力も随分違いましたが、結果としてよかったと思います。

 

あの時その芽を摘まなければ、彼は小学生になっても中学生になってもいじめを繰り返したでしょう。

いじめられていた彼は大人への信用をなくし、友達を作ることを諦め、孤立して生きていたかもしれません。

傍観者から加害者となったみんなも、人との関わりを間違えて覚えてしまっていたでしょう。

 

保育者として、だけでなく、大人として。

子どもと関わる大人として。

間違えていることはしっかりと教えていく姿勢を忘れずにいましょうね。

いじめの芽は小さいうちに摘み取ってしまいましょうね。

それが結局は一人一人の子どもを救うことになると思います。

 

 

実習生が相談してくれ事例があまりにも、そのいじめが起こった前の状況に似ていたので書かずにいられませんでした。