偏食な保育士が思うこと
私が在職中の給食時の風景。
そう。
実は私、超少食で超偏食なのです。
見ていただけたらわかると思いますが、これだけのものを嫌いだと人生で避けては通られない食事の場において、幼少期から大変な苦労をしてきました。
自分が保育園児だった頃を思い出すとお友達が午睡をしている中、泣きながら食事と向かいあっている風景ばかり浮かびます。
あの時の先生にはもう訴えることは出来ませんが、これから先生になるあなたや今、先生であるあなたには知っていて欲しい。
食が苦手だからこそ、思うこと。
「その食事の援助、時にトラウマになりますよ」
いやいやいやいや、うめ先生!
今どき、そんな無理やり食べさせるとかないでしょ!!
って思いました?
ほんっっとーーーーーーにないですか?
「食育」
そんな言葉が浸透した今ですが、私は何度も目にしてきました。
月案(月カリ)や日誌には「苦手なものは無理をさせず・・・」のひとことがあるのにも関わらず、、
苦手なひとくちを保育士が子どもの口に入れる。
保育士の勢いに口をあけてしまうこと、あるんです。
派手に嫌がらないだけなんです。
飲み込めないものをいつまでも出させない。
口の中のものは、もはや何の味もない物体になっています。
明らかにもうお腹いっぱいなのに、「じゃぁあとこれだけ食べよう」という指示寄りな提案。
満腹な状態で無理に食べさせられても美味しいと思えるわけないのに。
こんな状況を、今の時代の保育でも私はたくさん目にしてきました。
食につまずきがないひとは、食に苦手のある子どもの気持ちがわからなくなっているのでしょうか。
「これを食べないと午後お腹が空く」
「バランスよく食べないと」
それはそうかもしれないけど、食に苦手がある子どもは、まだその段階ではないと思うんです。
食が苦手な子一人一人に、苦手な背景があるんです。
たとえば、食事の楽しさを知らない子もいるでしょう。
たとえば、牛肉を飲み込めない子の中には、離乳食の失敗が隠れていることもあるんです。
また、極端な味覚への過敏さや偏りには発達障害のサインが出ていることだってあるんです。
そんな一人一人の背景を把握した上で、その子に必要な食事のねらいが出来、その子に必要な援助や配慮が出来るのではないでしょうか。
私、思うんです。
食事は大事だし、食べ物を粗末にしてはいけないけど、この一食、無理に規定の量食べなくても無理にバランスよく食べなくても、命に影響しない。
って。
※貧困にある国の子どものことや、貧困家庭の子どもへの援助については、また別次元の話だと思って書いています。そのことは、今の、この子(食に苦手がある子)と関わりのないことです。
願うことは、
楽しく食事を終え、食事によって身も心も満たされることだと思うんです。
残念ながら私は、ずーーーーっと味のない肉を噛み続けさせられたトラウマが残りました。いまだにお肉は苦手です。
ですが、当時嫌いだったのに無理強いされる機会のなかった玉ねぎは、その美味しさを大人になってから知りました。
よかれと思ってなされた食事の援助により、トラウマになって本当に食べられなくなる。
なされなかった援助により、将来食べれるようになる。
このことは、保育士が気に留めておくべきことだと思います。
そして、今の時代であっても、そういう援助をしてしまう保育士がいるということ。
それがもし先輩保育士であったとしても、
「その子どもにとって必要なこととは何か」
と、子どもの気持ちを第一に、これを読んでいるあなたには、考えて欲しいです。
さて、
ここで保育士の皆さんは、ちょっと気になるのではないかと思うのです。
「え、うめ先生、そんな偏食で、子どもとの給食どうしてるの?」
気になりませんか?笑
保育士が子どもの見本になれないとき、どうするのか。
保育士も人間なので、子どもたちの見本になれないことだってありますよね。
(食に限らず、誰しも苦手はあると思う)
私は、以上児担任の場合、子どもたちに正直に言います。
(未満児さんのときは、黙って最初に減らします)
「うめ先生、これ苦手なんだー」
「きっとこんなにいっぱい食べられないから最初に減らすね」
「これだけは頑張って食べてみようかな」
そしてなるべく嫌な顔をしないように食べます。
そしてそして、冒頭のイラストシーンになるのですね。笑
「最初に減らすね~」
の宣言は、子ども達にもそうして欲しいからです。
苦手なものは先に言う。
たくさん食べれないなら先に言う。
もちろん子どもなので、食べれると思ったけど、苦手だった。
食べれると思ったけど、多かった・・・ということもあります。
それを叱らないでね?
そうやって学んでいけばいいのだから。
逆に
嫌いだと思ったら好きだった!
という場合は、一緒に喜びましょう!!
すごいね、よかったね。
おいしかったんだね。うれしいね。
その気持ちの共有が子どもの喜び、食の喜びになると思っています。
そして子どもたちは、自分がされているように私を励ましてくれるのです。
「食べてみたらおいしいかもよーー」
私は何でも美味しく食べるという見本は見せられない先生だけど、
子どもたちは、私と給食を食べるのがきっと好きなはず☆